2019-09-15

ぬーん

インターネッツやめた方がはやいやろ


つまりインターネッツで巡回してると すぐにネットに居場所を求めてしまうのが 原因なんだよな。

ネットが単なるツールじゃなくて 救いになってしまっている。

ものすごい引力が働いてしまうの、 まさにそのせい。

でそれからひきはがすことが難しい。

とにかく異常だからね。

一種の強迫性障害だなこれ。


いや何かの障害だろこれ。

インターネッツから離れただけで 異常な思念・思考で脳内リソースを食い潰して 何も行動できなくさせてしまうの。

インターネッツが麻薬みたいになってる。


やっぱ認知レベルで インターネットに多幸感を 期待している。

これが行動できなかった理由だわ。

つまり行動そのものに多幸感がないと 何もできないんだわ。

なるほど。


つまりさ、 行動に多幸感を見つけないと インターネッツに絶対勝てないって。

それめっちゃくっちゃ険しい話じゃね?

でもそれが特性ならしゃーないな。


レイヤ分けして描いてたけど、これがめちゃくちゃ作画の多幸感を奪って却って能率を妨げていたという 事実ってやつか……。

とにかく多幸感を奪わない方法こそが 特性に応じた能率向上の第一歩なんやな。

インターネッツに勝つ方法は多幸感しかない。

行っていこう。


多幸感ムードだと損切りできねえよ。

株FXどうすんだよこれ。


多幸感とリスクマネージメントをきちんと摺り合わせて 行動を能率的に向上させて生産性を増進せんといかん。


損切り言うのはあれか。

負けを認めるということか。

難しいことだが、 実際はそんな難しい理屈ではないな。

だからこそどんどん実践していかないかんということだ。


某界隈で小尊師と呼ばれてた人、行政書士になって開業したんか。

でも私立歯学→私立ローのコースだったことを考えると うわああああ……って感だな。


結局行動というのは多幸感管理(Euphoria Managements)やんけ!


思念を抑えるためにネットの多幸感を利用しとったんやな。

だから原稿読書の多幸感を高めていかんといかん。

思念を制圧するのは多幸感しかない。


原稿と読書で多幸感を出す仕組みを発見して 自分にインストールせないかん。

ゲームのプレイ・スキームを自分で構成してそれによって 多幸感を得て、 さらにそれによってゲームのプレイの質と量をより拡充するのだ。


1日24時間 1時間60分

マジで時間ねーな。

ちゃんと本読も。

インターネッツなんてもう捨てちゃえ。


計算を直感でやっていきたいよね。

そうしないと処理しきれないし。


結局さー、 あれこれ考える必要なんてなくて、 単にそのときの情況、体験、触覚を思い出せばいいだけなんだよね。

運動を認知の基礎単位にしてるんだから。

いろいろ考えると思念になるから、 それを滅却して、 ただあの多幸感を思いだす。

それだけでイナフ。