2019-09-14

はぁーどげんとせんといかん


あー本当に時間が少なすぎる。

すーぐ時間を浪費してしまう。

いかんなあ……。


単なる視覚、聴覚だけでなくて 触覚や運動を伴わないといかんのだよね。

つまり自分の身体で感覚せんといかん。

経験の中の体験、体感というやつやな。


つまりさ、「締切がー」みたいなこと思念で考えてるから手が止まるわけで。

目前の一筆一筆に集中すればええんや。

思念なんてほとんど全部いらん。


結局さあ、原稿全体を俯瞰して時間配分して…… ってやるのはいいんだが、 実際原稿にとりかかる認識が

「原稿全部締切までにかかなきゃ!」

「原稿全体を見て~~」

みたいな目的・目標意識だと一生涯やらんのだよね。

ゲームと同じで、まず目の前の一筆をかいて、 おもしろくなって、 次の一筆をかく。 で、またおもしろくなってこれをくりかえす。

するといつのまにか全部できているって寸法よ。

やる気は常に再帰的な帰納法以外では絶対に出ないってわけ。


いまやってる下らない遊びをズバッと断絶して ちゃんとしたプレーせないかんのだなと実感しました。

遊びに貴賤はある。


はっきりいって 1日24時間 1時間60分 の元では、 ツイッターなんて見る暇なんて本来ありえないんですわ。

そんなクズ情報なんて見るのやめてせめて本を読もう。


何がいかんのかよくわかったわ。

やっぱり

1日24時間 1時間60分

というリアルがその根本原因だったんだな。

この中で自分の選択を配置せないかん。

それが人生言うもんや。

これをゆめゆめ忘れたらいかん。

1日24時間 1時間60分

はたしてその行動は、 思念は、 この枠内に相当するほどの価値があるか?


結局人生というのはコンピュータゲームなんだから、

1日24時間 1時間60分

という環境でしっかりスコア稼ぐのが面白いだろ。

なんでつまらないプレイばかりしなきゃならんのか?


なるほどね

めっちゃ疲労感出てたわ、思念から。

それが原因なんやな。


結局さ、インターネッツに一分たりとも何か居場所を求めること、 それ自体が行動を抑圧して何もできなくして、 思念=妄想の独房に閉じこめられてしまうことなんだなーと。

インターネッツなんてただのツールとして 見なきゃいけない。